2025年9月20日、午後6時。
盛岡市仙北にある長松寺の境内にて、坐禅会が開催されました。いわて癒しの会第2回目の坐禅会です。この日は、時折強く降る雨が境内の木々を揺らし、警報が出るほどの不安定な天候。それでも、参加者はそれぞれの思いを胸に、静かに長松寺へと足を運びました。

坐る前の準備~和尚様の導き
坐禅会の冒頭では、和尚様より坐り方の基本について丁寧な説明がありました。足の組み方、背筋の伸ばし方、呼吸の整え方。「何かを得ようとせず、ただ坐ることが大切です」と語られるその言葉に、参加者の表情も自然と落ち着いていきます。雨音が響く境内で、いよいよ坐禅が始まりました。





雨の中の静寂~それぞれの心と向き合う時間
坐禅の時間は約30分。
雨脚が強まったり弱まったりする中、参加者はじっと坐り、呼吸を整え、ただその瞬間に身を委ねていました。
「雨の音が、逆に集中を助けてくれた」
「忙しい日々の中で、何もせずに坐る時間がありがたい」
「自然のままに身を置くことで、自分の内側が見えてきた気がする」
坐禅が終わった後、参加者の口からこぼれた言葉には、それぞれの静かな気づきがありました。
中道という生き方~混沌の時代における心の軸
坐禅の後、和尚様は改めて「中道」についてお話しくださいました。
「今、世界は争いや憎しみ、悲しみがあふれ、極端な変化が次々と起こっています。人々は何かを強く求めすぎたり、逆にすべてを拒絶したり、心が大きく揺れています。
そんな時代だからこそ、仏教の『中道』の教えが大切なのです。」
中道とは、偏らず、執着せず、今この瞬間をまっすぐに生きること。雨が降ることも、晴れることも、どちらも自然のまま。それを良い・悪いと判断せず、ただそのままに受け止める心が、中道の姿です。
「中道は、何も“中間”を選ぶということではありません。極端に走らず、心を静かに保ち、物事をありのままに見つめること。それが、混沌の中でも自分を見失わないための道です。」
その言葉は、まさにこの日の座禅会そのものを映し出しているようでした。不安定な天候の中でも、ただ坐ることに意味がある・・・そのことを、参加者一人ひとりが実感していたように思います。

雨音とともに心を澄ます
今回の坐禅会も、雨の中の開催でした。けれども、自然の揺らぎの中でこそ、「ありのままを受け入れる」という仏教の教えが、より深く心に届いたように感じます。世界がどれほど揺れていても、私たちの内側に静かな場所がある。そのことを思い出させてくれるような、雨音に包まれたひとときでした。次回の坐禅会もまた、静かな時間の中で、それぞれの心に新たな気づきをもたらしてくれることでしょう。